エピソード集 黒歴史

しんどいときに読むべき黒歴史11選【前向きな気持ちになる】

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人生にはしんどいときもありますが、そんなときこそ「黒歴史」を振り返って前向きな気持ちになりましょう。

今回は、しんどいときに読むべき11の黒歴史をご紹介します。

大手企業の面接練習やおねしょの悩み、厨二病っぽい名前の考案、つまずきや失敗、大胆な行動、コンプレックス、家庭の悩みなど、様々な経験が詰まった黒歴史があります。

これらのエピソードから勇気や元気をもらい、前向きに未来を切り拓くヒントを見つけてみましょう。

しんどいときに読むべき黒歴史11選【前向きな気持ちになる】

自分の黒歴史を考えると、しんどいですよね。

そんなあなたに読むと前向きな気持ちになる黒歴史を11選紹介します。

  • 大手企業に応募して面接練習をしていた
  • 幼少期からおねしょが治らなかった
  • 学年全員の厨二病っぽい名前を考えていた
  • スタートの合図と同時につまずいた
  • 大絶叫して周りの人を起こしてしまった
  • 作品を相談せずに書いていた
  • 一番背が背が高いのがコンプレックスだった
  • 息子が登校拒否になった
  • ゲームのオフラインイベントに参加した
  • 嫌なことがあると顔に出ていた
  • 手荷物検査で引っかかる人を軽くバカにしていた

元気が出るので読んでみて下さいね。

しんどいときに読むべき黒歴史1:大手企業に応募して面接練習をしていた

高校3年生の就活の時期、私は大手企業に応募し担任の先生と面接練習をしていました。

担任の先生は「面接官の心を掴め、お前のユーモアを前面に出していけ」とこの言葉を何度も何度も言われ続けました。

その理由としては自分には特に優れた経歴もなければ成績が良かったわけではないので印象づける事が合格への近道だと担任は考えていたからだと思います。

そして面接当日、5人の志望者が横並びに面接し自分は3番目でした。面接官がまず「じゃあ、まず自己紹介からお願いします」と言いました。

1人目、2人目は「本日はお忙しいなかお時間を作っていただきありがとうございます。

私は〇〇高校在学中の〇〇です。本日はよろしくお願いいたします」とお手本のような自己紹介をし、面接官が「次に3番目の子お願いします」といわれ自分は元気よく「〇〇高校在学中の〇〇です!好きな食べ物は焼きそばパンで嫌いな食べ物は焼きそばです!」と放ち2週間後無事学校に不合格通知が届きました

それ以降学校ではあだ名が焼きそばになりました

しんどいときに読むべき黒歴史2:幼少期からおねしょが治らなかった

幼少期からおねしょが治らなかった私。

流石に小学生3.4年生になると、そこそこ治ってきました。

当時は、家族で川の字に寝ていました。父、母、私、いもうとが2人。よくふざけてあそんでいた、私たちは喧嘩もしょっちゅう絶えませんでした。

なんせ年子なので、同い年とほぼ変わりません。もう少し歳が離れていたら、可愛げがあってとても可愛らしいものだったのかもしれません。

いつものように、ひとしきり遊び笑い泣き、そして喧嘩して、両親に怒られて、家族が川の字になる畳の部屋へ行きました。

日中の疲れもあり、ストンと眠りにつき、気がつくと朝でした。そして気づくのです。尿意に。

、、、でもまだ眠いのです。眠くて眠くてたまりません。

そんな中、わたしは隣でスヤスヤ寝る妹の布団まで、ズリズリと進み、そこで用を足して、自分の布団に戻りました。

すぐバレました。

しんどいときに読むべき黒歴史3:学年全員の厨二病っぽい名前を考えていた

中学2~3年生くらいの時だったと思います。

学年全員(話したことない人含め)の厨二病っぽい名前を考えていました。中には顔と名前が一致しない人もいるので、他のクラスの友達に「席順と名前教えて!」と頼み、「この席にいる○○さんは××って名前にして?」とノートに書いていました。

特に仲のいい人たちには版権キャラの画像等でイメージ画像をつけたり、詳しい設定・キャラ相関図・二つ名なども考えていました。

そしてそれを仲間内で共有し、ネタにしたりLINEグループを作って話したりしていました。ちなみに私の設定は大魔王でした。

今では顔から火が出るほど恥ずかしい思い出ではありますが、おかけで友達とは更に仲が深まったような気がします。

厨二病は必ずしも恥ずかしいだけではない、と思った出来事でした。

しんどいときに読むべき黒歴史4:スタートの合図と同時につまずいた

学生時代の黒歴史として、中学校の運動会での出来事があります。私は100m走に出場し、頑張って練習してきた自信がありました。

しかし、スタートの合図と同時につまずいて転倒してしまい、周囲の生徒たちの前で恥ずかしい姿を晒してしまいました。

観客席からは笑い声が聞こえ、走り終えた後には友人たちからもからかわれました。その瞬間はとても辛く、後悔の念でいっぱいでしたが、その経験をきっかけに自分の弱点を見つめ直し、努力の重要性を学びました。

その後、陸上競技部に入部して、トレーニングに励んだことで自信を取り戻し、次の運動会では優勝を果たしました。

このエピソードは、失敗から学び成長する大切さを教えてくれた思い出です。

しんどいときに読むべき黒歴史5:大絶叫して周りの人を起こしてしまった

海外に新婚旅行に行き、その帰りの飛行機が深夜便で、飛行機の中で一泊することに。

初の海外旅行で疲れ切っており中々寝付けず、映画を見ながらフライトを楽しんでいた。

深夜1時を過ぎ、ようやく睡魔が私を襲い眠ることができたのだが、タイミング悪く、飛行機の中で寝ていると虫が大量に私に襲い掛かってくる悪夢を見てしまい、飛行機の中で大絶叫し周りの人を起こしてしまったのだ。

しかも大絶叫と共に、前の座席を蹴り、外国の人に英語で怒られた。

あげく絶叫してしまったので、CAさんが駆け付け、一時あたりは物々しい雰囲気となってしまった。

あまり英語が得意ではない私。

つたない英語で悪夢をみてしまい、大声をだしてしまったとなんとか伝えその場は収まったが、飛行機から飛び降り、その場から一刻も早く消えたいと強く願った。

しんどいときに読むべき黒歴史6:作品を相談せずに書いていた

中学生の頃、とても仲が良く絵が上手な友達がおり、その友達と美術部に所属していました。

美術コンクールの作品作りの時に、友達の書いた犬の絵がとても上手で書き方を真似していたので、美術のコンクールでその犬の絵をもとに作品を作っていたいと思いました。

その時に友達に相談すればよかったのですが、入賞などしないと思っていたので、相談せず描いてしまいました。

すると、なんと入賞してしましました。

友達に許可もなく書き方を真似した絵が入賞するとは思っておらず、とても気まずい思いをしました。

友達の描く絵はやっぱり上手だったんだと思いながらも、真似をした絵で入賞しても実力じゃない気がしてしまい、賞状をもらってもあまりうれしくなかったのを覚えています。

しんどいときに読むべき黒歴史7:一番背が背が高いのがコンプレックスだった

私は小学校のとき、クラスで一番背が高かったのです。それがとてもコンプレックスで、いつも自分の身長を隠そうと必死でした。(いつも気づかれないように少し膝を曲げて立っていたり…)

ある日、学校で運動会がありました。私はリレーの選手に選ばれたのですが、とても嫌でした。

なぜなら、走るときに自分の足が長く見えると思ったからです。でも、先生に言われて仕方なく参加しました。

リレーのとき、私は最後の走者でした。バトンを受け取ったとき、私は必死に走りました。すると、驚いたことに、私は他の子よりもずっと速く走れたのです。

私はゴールまで一人で突っ走り、見事に優勝しました。そのとき、クラスメートや先生や親たちがみんな拍手してくれました。

私は自分の身長が恥ずかしいことではなく、むしろ自慢できることだと気づきました。私は背が高いからこそ速く走れるのだと思いました。

それ以来、私は自分の身長を隠さなくなりました。むしろ、背伸びをしてもっと高くなろうとしました。

私は自分の身長を受け入れて、前向きになれました。

しんどいときに読むべき黒歴史8:息子が登校拒否になった

現在28歳の息子が小学生になった頃、登校拒否になりました。

親としては普通の小学生から完全にドロップアウトしてしまったようななんとも言えないつらく複雑な気持ちになりました。

現在のように多様性を重んじる、不登校の子どもを受け入れるフリースクールなどなく、発達障害という概念さえもまだ一般的ではありませんでした。

学校へ行く行かないで親子の間で軋轢が起こり、それを巡って夫婦の間もギクシャクし、とうとう私自身が精神的に不安定になり躁状態と抑うつ状態を繰り返してしまいました。

当時診てもらっていた心療内科のドクターに「一番のストレスの元は何ですか?」と問われて「息子の不登校と自閉症を疑っています。」と答えると、とりあえず息子を小児精神科で診てもらい、検査をしてもらってその結果をみて対処して行きましょうとアドバイスを受けました。

病院を紹介してもらい、知能テストその他を受けた結果「自閉スペクトラム症傾向の強い広汎性発達障害」と診断されました。

ではその障害に合った対応をすれば良い、と思っていたところに夫の精神的な不調が現れ、彼もまた息子と同じ障害があることがわかりました。

我が家はどんどん普通からドロップアウトしていくなぁと思いながら稼ぎ手が私だけになってしまったので、ダブルワークで家計を支えていたものの私自身もまた具合が悪くなり検査を受けると「ADHD傾向の強い広汎性発達障害」と診断されました。

家族全員発達障害!ここまで来るともう笑うしかありません。全員とっとと手帳や障害年金の手続きをして、福祉の手立てで助けてもらえそうなものは全て申請して「障害者」として生きる人生を歩んでいます。

自閉スペクトラム症の当事者や親の会の学習会に参加した時に、有識者からの「障害年金、生活保護など抵抗があるでしょうが、そういうものをフルに使ってでも生きていくことのほうが大事です。」という言葉に納得して、息子の不登校や発達障害当事者発覚という黒歴史を覆して、今、自分が出来ることを探し工夫して豊かな生活を楽しむ事を心がけております。

月並みな言葉ではありますが、色々あったけど人生捨てたもんじゃないな、と思います。

しんどいときに読むべき黒歴史9:ゲームのオフラインイベントに参加した

昔ゲームのオフラインイベントがあり、自分もそのゲームをよくプレイしていたので出向くことにしました。

そこではTwitterで少し関わりのある人や、よくメッセージでやり取りする人も来るとのことで楽しみにしていました。

そして会場につくと、色々な関わりの人と出会うことができました。

しかし当時の自分は人と関わることがあまりなく、相手から話しかけてもらえないと話すことができないような人でした。そのためせっかく知っている人に出会っても話しかけることができなかったのです。

近くに寄ってみていることしかできず、みかねた人に話しかけてもらってなんとか少し話すことができるような始末でした。

今ではすっかり自分からも積極的に話しかけにいくようになり、その時のことを知っている人がネタでいじってくる人がいるくらいです。

しんどいときに読むべき黒歴史10:嫌なことがあると顔に出ていた

私は結構サイコパスなのかもしれません。

昔は嫌なことがあったら顔に出ていたのですが、それがきっかけで相手と仲が悪くなったり、嫌な雰囲気を作ってしまったりと。

顔に出したらダメなんだと、大人になろうと決心したことをきっかけに、サイコパスになったんだと思います。

まず、嫌なことがあったら満面の笑みで対応します。

それも相手が癒されるぐらい。でも背中を向けた瞬間、一気に表情が怒った顔になり、口パクで文句を言います。

上司にお茶をつぐなどどうでも良い仕事は、別にコップに洗い残しが残っててもそのまま注ぐし、ばれない程度に悪さをして遊んでます。

自分で好きなだけ好きな量を注げやって思いながら笑顔で「どうぞっ」と提供しちゃいます。

しんどいときに読むべき黒歴史11:手荷物検査で引っかかる人を軽くバカにしていた

北海道に旅行した際、私の住んでいる秋田県から飛行機で北海道に行くことになった。

新千歳空港から秋田空港へ戻る便で、搭乗手続き前の手荷物検査で引っかかっている人をみて、俺は手荷物検査で引っかかるダサい奴にはならないと言い、手荷物検査で引っかかっている人を軽く馬鹿にしていた。

宣言通り、私は無事に手荷物検査を通過し飛行機に乗り込んだ、離陸から5分後、大気の状態が不安定で飛行機が揺れ、その揺れで私は飛行機酔いをしてしまった。

かなりひどい飛行機酔いで秋田空港に着いた時には、自力で飛行機から降りられない状態になっていた。

CAさんが私を車いすにのせ、通路を歩くと周りの人たちの視線が集中しかなり恥ずかしい思いをした。

俺はダサい奴にはならないと豪語していた自分が、まさか飛行機で酔い自足歩行もままならず、車いすに乗せられるとは思ってもみなかった。

 

まとめ

しんどいときに読むべき11の黒歴史を振り返ることで、様々な気持ちや経験を共感しながら前向きな気持ちになることができましたね。

失敗や悩み、つまずきもあるけれど、それは誰しもが経験する人生の一部。幼少期のおねしょが治らなかったり、学生時代の厨二病っぽい名前の考案、大胆な行動やコンプレックス、家庭の悩みなど、それぞれが抱える「黒歴史」には勇気と元気をもらえるメッセージが込められています。

「黒歴史」から学ぶことは、自分自身を受け入れることや、失敗を恐れずに前に進むこと。しんどいときこそ、過去の自分の経験を振り返り、前向きな気持ちを取り戻すきっかけとなることでしょう。

これからの人生にもしんどいことや挑戦が待っていますが、自分の過去を受け入れながら、勇気を持って向き合っていきましょう。黒歴史を振り返りながら、今と未来への一歩を踏み出していくことで、より充実した人生を築いていけることでしょう。

 

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