「いじめの黒歴史エピソード3選【やってはいけない】」では、過去に経験した怖いいじめのエピソードを3つ取り上げます。
いじめは、加害者も被害者も大きな心の傷を残す深刻な問題です。
これらのエピソードを通して、いじめの重大性とやってはいけないことを改めて考えてみましょう。
【怖い】いじめの黒歴史エピソード9選【やってはいけない】
いじめの黒歴史エピソードを9選紹介します。
- 過去のパワハラが嘘のよう
- いじめが原因でストレスで持病が再発
- 反抗期で親や兄弟にイライラしていた
- 同級生から巨漢やデブと言われていた
- 父親が転勤族だった
- 下駄箱で友達3人と帰ろうとしていた
- 英会話塾で孤立状態になった
- クラスの男子たちからいじめられていた
- 食べるのが物凄く速かった
1つずつ見ていきましょう。
いじめの黒歴史1:過去のパワハラが嘘のよう
会社に入社した当初、上司は優しくて良い人でしたが、私が仕事でミスをすると態度が段々ひどくなり、最終的にはパワハラを受けるようになりました。
私の笑い声を聞いただけで暴言を吐かれ、毎日悲しい思いで泣いていました。
上司に女性の涙は通用しないとまで言われ、とても辛い経験でした。
しかし、その後上司のパワハラが会社の上層部に知られ、給料がカットされたことで上司の態度は変わり、優しくなりました。
現在は新入社員の指導に携わっていますが、過去のパワハラが嘘のような変化を見せています。
いじめの黒歴史2:いじめが原因でストレスで持病が再発
教科書や文房具がなくなり、書道の作品が笑い物にされるなど、学校でいじめられていました。太っていたことや足が遅いことをからかわれ、その言葉に傷ついてしまいました。
先生に相談しても相手にされず、無視されるようになり、ストレスで持病が再発しました。しかし、幸いにも幼馴染がそばにいてくれて、なんとか卒業することができました。
しかし、いじめを受けた経験は忘れられず、許すことができず、今後も辛い思いをしてほしいと感じています。
いじめの黒歴史3:反抗期で親や兄弟にイライラしていた
いじめられな黒歴史というか、いじめまがいなことをしてしまった黒歴史です。
当時、私は中学3年生でした。
シングルマザーで親が家にいることが少なく兄弟で過ごすことが多かったのですが、反抗期だったのもあり、親や兄弟にイライラすることが多かったです。
ですが、小心者なので家族に反抗することができず、当時、仲が良く私より気弱な友達に呼ばれても返事をしなかったり、強めに返事をしたりしていました。
修学旅行の時、グループ行動になりますが、友達のペースに合わせることができず、早くして?など急かしてばかりいました。
その子と私はお互い友達が少なかったので、冷たくしても友達でいてくれるとどこかで甘えていたのかもしれません。
その友達とは地方に引っ越しているのでなかなか会えませんが、今でも連絡を取り合っていますが、こんな私でもずっと友達でいてくれることに感謝しています。
いじめの黒歴史4:同級生から巨漢やデブと言われていた
背が高くて体格が良いため、同級生たちから「巨漢」「デブ」と揶揄され、からかわれることが日常的だった。
いじめられる度に自信を失い、友人関係も希薄になっていった。何度も学校に行くことが辛くなり、授業も真剣に受けられなくなった。
いじめを他人に打ち明けることができず、家族にも言えなかった。心配するのを避けたかったからだ。孤独感に苛まれながらも、他人に迷惑をかけたくないという思いから、自分の悩みを抱え込んだままだった。
しかし、ある日、いじめを知った親しい友人が彼に声をかけてくれた。初めは打ち明けるのを躊躇ったが、友人の優しい態度に心を開くことができた。友人たちは私を受け入れ、一緒にいじめに立ち向かおうと支えてくれた。
友人たちの助けを得て、学校の教師やカウンセラーに相談し、いじめを防止する取り組みを始めた。学校全体でいじめ撲滅のキャンペーンを行い、いじめに対する理解と予防を推進した。彼の勇気ある行動によって、学校の雰囲気が変わり、いじめの減少に成功した。
この経験から、自分自身を変える力を知り、他人にもその力を与えることができることを理解した。
彼は過去の苦しい経験を乗り越え、自分の強さを信じるようになった。そして、他の若者たちにも「誰もが違うことは素晴らしい」というメッセージを伝える活動を行い、多くの人々に希望と勇気を与える存在となった。
いじめの黒歴史5:父親が転勤族だった
父親が転勤族だったため、小学校を三度変わっているのですが、二つ目、三つ目の小学校では不細工、暗い、といった理由でいじめられていました。
新しい環境になじむのに時間がかかる性質でもあったため、いじめの対象になりやすかったのかもしれません。
加えて中学生の頃に両親が離婚し、母の実家の方へ引っ越したのですが、これまでの経験から更に暗い性格になっていた私は転校した先の中学校でもしっかりいじめられ、そのまま知り合いのいない高校を選んで進学したもののそこでもいじめを避けることは出来ませんでした。
全く味方がいなかったわけではなく、特に高校生の頃に親しくしてくれた方たちとは成人して久しい今でも親交があります。
いじめを受けていた当時は毎日死にたいと思っていましたし、逃げたいとも思っていましたが、世界中の全員が自分を悪く見ているわけではないことに気付けたのがここまでどうにかのらりくらりと生きることができた理由かなと思っています。
いじめの黒歴史6:下駄箱で友達3人と帰ろうとしていた
小学5年生のこと下駄箱で友達3人と帰ろうとしていた時のことです。
靴を履いているとおならが出てしまい、みんなに笑われてとても恥ずかしかったのを覚えています。
その時は靴がこすれた音出し!と小学生ながらのごまかしをしようとしましたが、友達が「うわぁくさー」とわざとらしく言ってきて
次の日から私は恥ずかしくて友達と話すことができませんでした。
小学生のうわさの広がり方はすごく次の日の放課後には仲いい友達がみんな知っていました。
下校時間になると「トイレ大丈夫?」とからかってくる友達もいました。当時の私は本当に恥ずかしく、学校に行くたびにおびえていました。
今となっては「おならくらい誰でもするわ!」と思えるようになりました。
いじめの黒歴史7:英会話塾で孤立状態になった
小学生時代に英会話塾に通っておりました。男子児童が少なく女子児童が多く、孤立状態になっていました。初めは、女子児童から積極的にコミュニケーションをとってくれましたが、クール児童がかっこいいと当時思っていて、クールに対応、あまり積極的に女子児童に話かけたり、コミュニケーションをとりませんでした。そしたら、女児児童は多分おとなしい反抗しない男子児童と思われ、いじめのターゲットになりました。自分が英語の発音をするときに、女児児童全員が耳を塞いだり、聞かない仕草や一対一の英会話コミュニケーションでも、自分からハローと話しかけても無視したりありました。また、一番つらかったのは、誰も自分の隣の席に座らず孤立状態が続き、結局耐えきれず英会話をやめました。
いじめの黒歴史8:クラスの男子たちからいじめられていた
"学生のとき、クラスの男子たちからいじめられていた頃がありました。全く自分とは無関係で思い当たる要素はなかったのですが、なぜか自分に「アスパラ」とあだ名をつけられ、「おいアスパラ」「アスパラこっちみんなよ」などとしょっちゅうアスパラ呼び・・・自分も気が弱かった為言い返せず、1年間アスパラ攻撃に耐え続ける日々でした。今思えばあだ名がアスパラってめちゃくちゃ面白いですよね・・・(笑)
そのアスパラで過ごした1年間というのが、丁度卒業する年でもありました。その時の担任の先生も気弱で、私がいつもこうしてからかわれていることも知っているようでしたが、何かうまく対策をとってもらえることも特にありませんでした。そして卒業式の日、担任とクラスの子一人一人が握手をしてお別れするとき、担任の先生が私と握手するときにボソッと「守ってやれなくてごめんな」と呟やいていました。「アスパラ」としていじめられていた当時は毎日嫌でしたが、今となっては「アスパラってなんやねん笑」ってなります。"
いじめの黒歴史9:食べるのが物凄く速かった
中学生時代昼食は弁当を各自持参だったので、友人たちと机をくっつけて食べていました。私は食べるのがものすごく早く、友人が食べ終わるまでに完食してしまい、暇な時間を持て余してしまうため机に両手で頬杖をついて友人を待っていました。当時かなり太っており、その頬杖をついた姿が頬が手で盛り上がり不細工だったらしく友人たちから陰で変なあだ名をつけられ、こそこそと「今日〇〇(あだ名)やってたね」などと言われていました。本人たちは気づいていないと思っていたようなのですが、察しが良く自分のことを言われていると気が付いたので以降は頬杖はつかないようにしていましたが、急に痩せることもできないので学年が上がってクラスが離れるまで我慢していました。
まとめ
過去のパワハラ体験が嘘のように変化したり、いじめが原因でストレスで持病が再発したり、反抗期でイライラして家族に対して嫌な気持ちを抱えたりと、いじめの黒歴史エピソードは怖さと重さを持っていました。
いじめは、被害者だけでなく加害者にとっても大きな問題であり、後遺症が長く続くことがあります。自分や他人を傷つけることは絶対に許されない行為であり、やってはいけないことです。
これらのエピソードを通して、いじめの深刻な影響を改めて理解し、個々の意識改革と教育の重要性を感じます。社会や学校、家庭で優しさと思いやりを大切にし、いじめのない世界を実現するために、私たち一人ひとりが積極的に取り組むことが必要です。
未来の子どもたちが安心して学び、成長できる社会を築くためにも、いじめをなくし、人としての尊厳を尊重する大切さを忘れずに、共に努力していきましょう。いじめのない社会を目指して、いたわりと支え合いのある世界を築いていくことが求められています。