みなさんは、若かりし頃の自分にちょっとした恥ずかしい思い出はありませんか?
そう、中二病(厨二病)と呼ばれる、青春時代に特有の症状にかかってしまったことがある方も多いかもしれません。
中二病とは、特別で異能の力を持っていると思い込んだり、かっこつけたりすることで、実は多くの人が通る成長の過程なのです。
そんな中二病だった過去の13エピソードを、恥ずかしいけれど懐かしく振り返ってみましょう。
厨二病な黒歴史13選【痛すぎる】
厨二病な黒歴史を13選紹介します。
読んでみると「自分もやってたなぁ…」と思うことがありますよ。
- 何の前触れもなく、空を見上げたくなった
- 自分が魔女で魔法が使えると思っていた
- アニメ好きなオタクだった
- 厨二病単語をめちゃくちゃ使っていた
- 嘘で例が見えると言っていた
- 2chを見て育った芳しい仕上がりの厨二病だった
- 幽霊が見える、パーソナルフレンドがいると思っていた
- すぐにアーティストになれると思っていた
- ダークな言葉に強く惹かれた時期があった
- 自己イメージを大げさに演出して、現実離れした行動をしていた
- カッコつけたようなセリフを言いながら話をしていた
- 自分が黒魔女だと思い込んでいた
- アニメキャラになり切ったチェーンメールを自作していた
順番に紹介していきますね!
厨二病な黒歴史1:何の前触れもなく、空を見上げたくなった
中学生の頃、厨二病を患っていた私は、1人で景色のいい山で何もせずぼーっと空を見上げるだけの時間が好きでした。
それも突然授業中や何かの行事をしているときに、何の前触れもなく、空を見上げたくなったと言ってその場からいなくなり、山を眺めて時間を過ごしておりました。当時はそれがかっこいい、1人で何もしない時間を費やす自分はいけてる、などと思っていましたが、完全に痛いやつとなっていました。
当然そんなことをしていると先生や友人に何をしていたかと聞かれる事もありますが、1人になる時間が欲しくて…と意味深な発言ではぐらかしていました。
この年代の男の子にはよくありがちな行為だと思っておりますが、今となると完全に無駄にした時間だと思います。
厨二病な黒歴史2:自分が魔女で魔法が使えると思っていた
中学生の時の話です。
厨二病まっしぐらだった私は、自分が魔女で魔法が使えると信じて疑わない節がありました。
そこで、今自分が生きている世界とは違う、ファンタジーの世界を想像して詳細な設定をキャンパスノートにまとめていました。どうやってファンタジーの世界に行くか、そこにはどういう人たちがいるか、空想の登場人物についてなど事細かく書いては、妄想したエピソードをまた別のノートに小説にしたためていました。
それだけでは飽き足らず、自分が使える魔法のことや薬草を使ったポーションの作り方などをそれぞれジャンルごと(攻撃魔法、回復魔法、ポーション、飛行術、武器の生成など)に教科書のようにノートにまとめてはニヤニヤしていました。
先日帰省した際に、鍵付きのケースの中に保管していたそれを久しぶりに読んで腹が捩れるほど笑いました。
厨二病な黒歴史3:アニメ好きなオタクだった
中学の頃、父に内緒で友達と嵌まっていた事があります。それがアニメです。アニメが好きで二次創作とかにも手を出しました。
アニメのキャラクターが使っている科白を言ったり真似したり、いろいろしました。悪い事ではないのに、当時起こっていた事件が切っ掛けで暫く大っぴらにアニメ好きだと言えなくなりました。
アニメが好きなオタクは変人で疎外する物、という風習が根付いてしまって、好きなのに好きと言えない日々が続きました。
今でも年代を聞くと、あの当時のオタクは~、と悪く言われるのでこの事はとても言えません。
本当はコスプレとかしたかったとかもっと同人誌を読みたかった、という後悔はあるものの周りの意見に流されています。きっとアニメ好きだった過去は生涯言えないと思います。
厨二病な黒歴史4:厨二病単語をめちゃくちゃ使っていた
小学校、中学校にかけて厨二病がとても酷く、アニメにある厨二病単語(アクセラレータ、レールガン)などをめちゃくちゃに使ってたことが自分の黒歴史です。
日常会話で使うのはもちろんのこと、授業中などでも普通に使っていて、それがかっこいいって思っていました。
わざわざ一方通行って書いてある教科書をアクセラレータと呼んだり本当に痛すぎるエピソードだと思っています。
当時のことをたまに友人にいじられますが本当に顔から火が出るほど恥ずかしいネタなので擦らないで欲しいです。
ただ、今でもエヴァや東京喰種などを見ると本当に厨二心がくすぐられるのでしんどいです。
エヴァにいつか本当に乗って使徒殲滅したいです。シンジくんの代わりに初号機動かしたいです。
厨二病な黒歴史5:嘘で霊が見えると言っていた
小学生の頃の話です。
当時、怖い話や呪いなどの心霊系が学校で流行っており、私も思い切り流行りに便乗していました。
私は「実は私。。霊が見えるんだよね。。」と真剣にある友達に話しました。
実際は見えませんしふざけているような気持ちでしたが、特殊能力持ちみたいな気分を味わいたくて少しバカな友達にそう言いました。
少しバカな友達は「うそ!ほんとに!すごい!」と盛り上げてくれました。すかさず私は「あなたが飼っている犬が危ない!フルーツをあげれば呪いはとけるよ!」と適当言いました。
すると友達は「家にフルーツがないかみてくる!」と犬でも食べられるフルーツをみつけてきました。
そんな感じで数週間くらいの間、変な霊視ごっこをしていました。
今思うと中二病過ぎな黒歴史です。
厨二病な黒歴史6:2chを見て育った芳しい仕上がりの厨二病だった
小学校高学年頃から加速した厨二病から生まれた黒歴史です。
当時の自分は2ちゃんねるなどのアングラサイトを見て育った大変芳ばしい仕上がりの厨二病でした。
しかし子供ながらのあどけなさというか世界の見えてなさから頓珍漢な発言を繰り返していました。
その中の一つが「将来の夢は世界征服をすること!」です。
なんとも可愛らしくアホらしい夢でしょう。
そこに付随したもう一つの夢が「バーテンダーになって情報を操る影の支配者」でした。
しっかりとロマンを携えた夢まで持っているのです。当時ハマっていた作品の影響を多大に受けていました。
何かでかいことを口にするというのはとても大きな快感を呼びます。きっとそれに酔いしれていたのでしょう。
そして、その酔いはたった一言で砕かれます。
「具体的にどうやるの?」
一番仲の良かった友人からのその一言で大きなハリボテの夢がガラガラと崩れていく感覚がありました。
あれだけ豪語していた夢になんの具体性もないのです。何も考えていなかったのです。
しどろもどろになりながら返答にならない返答をして、それ以来「世界征服」という字を見ると顔が熱くなります。
厨二病な黒歴史7:幽霊が見える、パーソナルフレンドがいると思っていた
自分は幽霊が見える、自分にはパーソナルフレンドみたいなものがいると思い込んでいた。
みんなが見えないものと話していたり、自然の声が聞こえる。
アニメにひどく影響を受けて自分には超越した何かパワーが宿っていると思っていた。多重人格に憧れていて、自分の違う人格に名前をつけていた。その人格に変わることで嫌なこと、苦手なことを乗り越えられていた。
違う人格に入れ替わる際には目を閉じて開けた時には変わってるみたいな感じの、急にどうした?と言われることがよくあった。
今、思えば友人からは口調も変わって、記憶喪失みたいな状態だったので変人と思われて、避けれててもおかしくはなかったなと正論すぎて胸が痛い。
ぼっちにはぼっちの原因があった。
厨二病な黒歴史8:すぐにアーティストになれると思っていた
学生のとき、自分はすぐにでもアーティストになれると思っていました。
自作の歌詞を作り、何枚も同じ曲を書いて、クラスメイトに配っていました。休み時間には、メロディに乗せて歌まで披露していました。
クラスメイトが陰で笑っているのも知らず、配った歌詞カードにサインや、◯◯ちゃんへ、などというメッセージまでつけていました。
それだけでは満足できず、ミュージックビデオまで作ろうと決め、放課後の校庭や校舎の階段、体育館などに居座り、歌いながら表情を作ったりダンスをしたりして、ビデオの作成をどんどん進めていきました。
同じクラスの子だけではなく、違う学年の生徒にも知られ、その保護者にも話が伝わり、母親からものすごく怒られる羽目になりました。
今思い出しても発狂しそうになります。
厨二病な黒歴史9:ダークな言葉に強く惹かれた時期があった
中学校2年の頃、この年代の子供にありがちですが、「血」とか「闇」とか「刃物」「包帯」といったダークな言葉に強く惹かれた時期がありました。
特に、もともと歴史好きだったこともあって、日本刀や甲冑といった武具、また血みどろの浮世絵などの図録を読み漁っていました。
更に厄介なことに、私自身この頃は比較的本気で漫画家になりたいと思っていた時期。毎日のように絵の練習をしていたので、同年代に比べてデッサンや構図の取り方はうまかったと思います。
ある時、美術の時間に「テーマを決めて好きな絵を描く」のような課題がありました。私は全く何も考えず、名刀にしたたる血をうっとりと眺める美女とか、血みどろで息も絶え絶えな美少年剣士、とかいうような絵を描いてしまいました。
それだけなら別に良かったものの、美術の先生がなぜかその絵を気に入ってしまい、直近にあった授業参観にあわせて廊下(全学年の親御さんが通るところ)に名前つきで貼りだしてしまったのです。
他の人はもっと「ペットの犬」とか「夏休み」とか平和な絵を描いているのに、完全に異質なグロい絵が貼られてしまいました。
もちろん親には言っていません。
厨二病な黒歴史10:自己イメージを大げさに演出して、現実離れした行動をしていた
中学生の頃、私は厨二病にかかっていた黒歴史があります。男性として、自己イメージを大げさに演出し、現実離れした行動に後悔しています。
当時、自分を特別だと思い込み、他の人とは一線を画した存在であるかのように振る舞っていました。日常生活では、特殊なアクションや不思議な能力を演じることが日課でした。周囲の人々に迷惑をかけながらも、自己満足に浸ることばかり考えていました。
更に、ファンタジーやアニメのキャラクターを模倣し、そのまま自分のキャラクターとして生きることに没頭していました。学校では、架空の名前で呼ばれたり、架空の言語で会話するなど、現実と虚構の境界が曖昧になっていました。
これらの行動は、友人関係や学業にも悪影響を及ぼしました。現実世界に適応できず、他の人とのコミュニケーションがうまく取れなかったため、孤立感を感じることが多かったです。成績も低下し、真剣に学ぶことを怠ってしまいました。
現在は、中学生時代の厨二病の行動に反省し、現実と虚構の区別を明確にし、より現実的な目標に向かって努力しています。自己表現や個性を大切にしながらも、現実のルールや社会の中で健全な関係を築くことを重視しています。
厨二病な黒歴史11:カッコつけたようなセリフを言いながら話をしていた
高校の頃かっこいい先輩に憧れていて、後輩の教室に遊びに行っていました。
後輩が仲の良い女子たちと話をしているのを見計らって「何話してんの?俺の話?」などカッコつけたようなセリフを言いながら話を混ざったりしていました。
混ざっていたかいがあったのか後輩の女子に挨拶されるようになった私。かっこいいと思うような嘘の武勇伝(他校の生徒と殴り合いをしたとか、地元では不良集団と付き合ってるなど)をいい、最後には「俺たち付き合っちゃう?」などと言いまくっていました。
年上の痛い人にそんな事言われたら向こうは断る事ができずに「えー私以外にもいい人いっぱいいるんじゃないです?」みたいな感じではぐらかしていたのをいいことに自分は後輩の女子三人くらいと付き合っていると勘違いしていました。
厨二病な黒歴史12:自分が黒魔女だと思い込んでいた
当時ハマっていた、青い鳥文庫の「黒魔女さんが通る!!」にのめり込みすぎて、自分が黒魔女であると思い込んでいました。
作品の中には、黒魔術の呪文や物語中の魔界が存在する場所など、黒魔女チックな内容がふんだんに詰め込まれており、影響を受けすぎた私はそれらをノートに書き出していました。
学校に持っていき、わざと目を引く場所に置いておきながら、
「だめ!それ見たら死ぬよ!?」
「そのノートを見ることが許されているのは訓練を受けた魔女だけなの」
などと、作品中にすら出てこない意味不明な設定で、黒魔女ワールドを炸裂し、周囲を困惑させていました。
「魔」「鬱」「呪」…などなどいわゆるそっち系の感じが大好きで、例のノートの表紙にとても大きく「呪」と書いていたこともかなり厳しいです。"
厨二病な黒歴史13:アニメキャラになり切ったチェーンメールを自作していた
中学生のころ、まだスマートフォンではなくガラケーが主流だったのですが、その時チェーンメールというものが流行っていました。チェーンメールは知り合い〇人にこのメールを転送すれば、幸せに/不幸に なるというもので、回ってきては友人に転送するなどしていました。
その頃の私はかなりオタクで、とあるアニメにハマっていました。所謂、同人活動としてイラストや文章をオタク友達と製作して遊んでいることもありました。
そして、そういった創作活動の一環として、アニメキャラクターになりきったチェーンメールを自作し、友人たちにメールを送信しました。
理由としては、そのアニメをもっと周りに知ってもらいたいと思い、布教活動としてだったと思います。
当然、私が自作したことが友達にバレ、しばらく噂話として笑われてしまうことになってしまいました。
もちろん、その自作チェーンメールが流行ることはありませんでした。
まとめ:
いかがでしたか?中二病(厨二病)は、青春時代に誰もが少なからず経験するものです。
特別な存在になりたい
自分は魔法が使えると信じたい
カッコつけたい
という気持ちが、成長の一部なのかもしれませんね。
恥ずかしい思い出かもしれませんが、これらの経験が自分を成長させ、人としての大切な一歩だったのです。
今となっては笑い話になることもあるでしょう。大人になっても、自分らしく過去を受け入れ、成長していきましょう。
誰もが成長の過程で中二病にかかりますが、それもまた青春ならではの魅力です。