エピソード集 黒歴史

学生時代の大失敗!痛快やらかしエピソード17選

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学生時代、誰もが一度は経験する"やらかし"。時には赤面ものの失敗から、思い出深い笑い話まで、私たちの青春は数々のエピソードで彩られています。

今回は、そんな学生時代の大失敗から学ぶ、痛快な"やらかしエピソード17選"をお届けします。後悔から得た教訓、友情の深まる瞬間、そして何よりもの笑い話。

これらすべてが、我々の学生生活をより豊かなものにしているのです。

学生時代の大失敗!痛快やらかしエピソード17選

学生時代は多くの失敗を重ねる時です。

そんな大失敗の痛快やらかしエピソードを17選紹介します。

どれも実話ですので、気になる話すをどうぞ。

試したくなる性格が裏目に出た

小学校のとき彫刻刀でごんぎつねを作品として彫る授業でやらかしたエピソードになります。先生から再三に渡ってケガをしないよう注意を払って取り組むよう言われていましたが、あまりの切れ味に少しだけ指にあてたところケガをしました。

指には気をつけるようにと強く注意されると、本当に危ないのかと疑問に抱く性格だったのでつい試したくなったのが裏目に出ました。小学校のときは面白半分で2階から飛び降りたりもしていたので好奇心旺盛な一面も影響していたと思います。

誰かに注目されることが嬉しかった年頃だったので怖いもの知らずな小学生と先生に言われていました。キズは小さなもので済みましたが右利きだったのでその後の作業に支障が出て、きつねのところ猫みたいな作品になって笑われたのを覚えています。

パンツと中靴が洗礼を受けた

中学2年生の時の話です。

私は家から約4キロ離れた学校に通っており、冬は積雪のために自転車が使えないので、通学に徒歩で1時間かかります。

この日もいつも通り友達と歩いて学校に向かっていましたが、中間ポイントを超えたあたりで猛烈な便意が私を襲いました。

今だったら「ごめん!ちょっと腹痛いからお店のトイレ借りる!先行ってて!」と友達の返事も待たずにトイレに駆け込めるのですが、中学2年生の多感でまだまだ純粋な私。友達に腹痛を訴えることも、通学中にお店のトイレを借りることにも非常に抵抗がありました。

当時の記憶は定かではありませんが、腹痛を紛らわすことに必死できっと会話の相槌が不自然だったことでしょう。

便意と格闘すること約2キロ、学校に到着する直前で「ちょっとトイレ寄ってから教室はいるね(超小声)」と友達に伝えていたので、昇降口を抜けた瞬間にハイスピードでトイレに駆け込むも私の肛門はすでに限界を迎えていました。

ズボンを下げた、というよりトイレのドアノブに手をかけた瞬間に肛門から飛び出る私のブツ。

9割はしっかり便器内に身を潜めたのですが、パンツと中靴が洗礼を受けてしまいました。

あわててトイレットペーパーで拭きとるも若干臭い。多感な中学生にとって人生最大のピンチです。

パンツは泣く泣く捨てました。トイレ掃除担当だったクラスの子たち、ごめんなさい。

中靴は捨てるわけにはいかないので、水を含ませたトイレットペーパーで拭いたり、石鹸の泡で匂いを軽減させてみたり…当時の私にしてはかなり冴えてた気がします。ピンチは人を成長させてくれますね。

その日は「うんこ」「おなら」「くさい」というワードが聞こえるたびに冷や汗をかきながら過ごしました。"

我慢できなくて小便を漏らした

学生時代、みんなで合格祈願にと山登りをした時にトイレを友達の前で漏らしたことです。その日、頂上まで行って下山する際、トイレに行こうとしましたが、そこのトイレがドアもあるようなないようなトイレでまだ我慢できるかと思い、下山をしていました。

するとだんだん尿意が大きくなり、気持ち急ぎ足で下山していましたが、足元があまりよくない山道で急いで降りようとすると逆に体に振動を感じて我慢が出来ないぐらいのレベルになりました。

友達にトイレ行きたいと言いましたが、言ったことによってさらに行きたくなり、もうすぐゴールっていう寸前で我慢できなくて小便を漏らしました。一番恥ずかしかったのは、その後お友達の前でトイレではないところに小便をするしかなかったことです。

ペダルを踏んで自転車から落ちた

学生の頃、友達と2人で自転車で出かけた日、私は少し長めのスカートを履いていました。車通りの多い交差点で信号待ちをしていて、青に変わったので急いで渡ろうとしたとき、スカート裾と一緒にペダルを踏んでしまい、一回転して自転車から落ちてしまいました。

一瞬の出来事でなにが起こったか分からなかったですが、一緒にいた友達は心配するどころか爆笑してました。

多分、スカートも捲れたと思うし、車通りの多い場所だったので恥ずかしくてさっさとその場を立ち去りました。その間も友達は爆笑していたので恥ずかしかったです。スマホが無い時代で良かったと今でも思い出すと落ち込んでしまう出来事です。それ以来、スカートを穿いて自転車に乗ることは無くなりました。

親への反抗期時代

ちょうど高校一年生の時です雪の日で親が迎えに行くと言ってくれていたのですが私は反抗期だったのもあり親に強めに断りを入れて学校に行って帰り道ローファーが新しく買ってもらったものだったので踵が酷い靴擦れを起こし痛くてしょうがなかったので踵を踏み歩いていました。

ローファーが大きめだったのもありかなりダボダボだったのですが大丈夫だろうと思い雪が降る中音楽を大音量で聴きながらルンルンで帰っていました。学校と家のちょうど中間くらいのところに昔の道なのもあり急な坂道のところがあり古いからか道がかなりボコボコですりおろし機みたいになっていたのですがその道に雪が積もっていて滑って正座の状態で坂の端から端まで滑り両膝がボロッボロの状態になりながら家に帰りました。

キッチンにつくなり母親が血だらけの私を見てびっくりしながら『どうしたの!?』って言ってきたのですが恥ずかしさと反抗期で『なんでもない』と言ったのですがその声を聞きつけ姉が出てきて同じように聞いてきたので小声で『滑って転んだ…』と伝えたら母親と姉は涙を流しながらゲラゲラ笑っていました心配はかけるは泣くほど笑われるわで恥ずかしくなった私は部屋に篭りました…

そこからローファーは踏まないっていうことと雪の日は強制送り迎えが我が家の私に適応されるルールになりました。

ステキな青春の1ページ

中学生だった当時、片思いをしている人への想いを綴ったノートがありました。

自宅でひっそりと「今日はこんなことがあった」「こんな姿がカッコよかった」などを綴ったものです。

日記のように書いていたのですが、気に入った片思いの歌のフレーズを書いたりしていたのですが

そのうち自分で作詞なんかもしたり(笑)

今見返しても顔から湯気が吹き出すくらい恥ずかしいことを書いていました。

そんなノートを誤って学校に持っていってしまった私。

自主学習ノートと同じ表紙・色のノートにしてしまっていたので気づかずに担任の先生へ提出。

しかも間違って提出したことにも気づかず返却されました。
自宅へ帰りノートを開いて初めて気づいた私。

先生からは「ステキな青春の1ページですね」とのコメントがありました。

周りに追いつくための大学デビュー

母親が「女性」というものに過剰に反応するタイプで、周りが携帯を持ったり化粧をしたり寄り道を楽しむ中、私は一切そういうことを許されず大学に上がりました。大学は三田や日吉のキャンパスがある某有名大学です。

周りに追いつくために大学デビューを果たしましたが、髪を巻けばベルばらのような縦ロール(同じクラスの子に「…じょ、女優さんみたいだね…」と要らぬ気を使わせました)、ファンデーションをすれば仲良くなった男子に顔を触られ「うわぁ!べっとべと!!」とドン引かれ(お粉なんて知りませんでした)、アイシャドウをすればもちろん帰るころには目の下は真っ黒(アイシャドウベースなんて当時ありませんでしたし、とりあえずアイシャドウでまぶたを塗りつぶしていました笑)。

歯紅は当たり前。今のようにSNS等で化粧の仕方なんて簡単に手に入る時代ではなかったので、試行錯誤しながらどうにか周りの可愛い女子生徒に追いつこうと頑張っていました。いわゆる大学デビューです。

大学デビューという言葉はともすれば嘲笑の言葉に使われますが、大学デビューしないでいつデビューするんだ!というか、いつデビューしたっていいじゃないか!いっぱい失敗して、今は化粧品を楽しむ女性らしい生活をしています。

化粧は美人のためだけのものじゃなく、日常を楽しむすべての人のためのものだと思っています。良いじゃないですか、大学デビュー。

憧れている先生

高校三年生の時のことです。当時私には憧れている先生がいました。朝早くに登校し、教室の窓から見える教員用駐車場を眺め、その先生が出勤してくると教室から声をかけたり、階段を下りて職員室の前の保健室に行くふりをして先生と偶然会ったような素振りで挨拶をしたり、朝の時間を使って授業の質問をしたり、あの手この手で先生と話すチャンスを作ろうとしていました。先生は一人の生徒として私のことも、ほかの生徒と同様にかわいがってくれており、私はクラスの委員長をしていたこともあって「頼れるしっかり者」と言ってもらっていました。

そんな中、いつものように先生が出勤してきたタイミングに合わせて保健室横の職員用の下駄箱の前まで駆け下りていったのですが、急ぎすぎたのか、まさかの先生の目の前でつるんと滑って盛大に転んでしまいました。ほかにも私の知らない先生方も出勤してこられる時間帯だったので、何人かの先生の目の前でスカートがめくれあがるほどに転倒し、お尻と腰を強く打ち付けてしまいました。憧れの先生の目の前でとんだ醜態をさらしてしまい、恥ずかしくて顔をあげられずにいたのですが、先生に一言「廊下の真ん中だから」と冷静に指摘されてしまったこともさらに恥ずかしかったです。

いっそ笑って欲しかったとも思いましたが、高校生にもなって廊下を走って転び、廊下の真ん中で座り込んで通行の妨げになるというやらかしをして、先生に対する強い憧れはアイドルを追いかけるようなハマり方だったなと冷静になる機会にもなりました。

「しっかり者」ではなかったということもバレてしまったかと思いますが、先生は最後まで先生としてしっかり指導してくださり、卒業した今となってはいい思い出?かなと思います。

笑える画像を探していた

私が大学1年生のときの話です。

私の学科には全員で150人ほどの学生がいたのですが、学科全員が入っているLINEグループがありました。授業やテストについてのお知らせがあると、そのグループで連絡を取っていました。

ある日の放課後、私は仲の良い友人4人とのLINEグループで会話をしていました。いわゆる、「写真で一言」なる画像をネットで探してはその解答を送る、という遊びをしており、誰かが画像を送るたびにクスクスと笑っていました。

私も同様に笑える画像を探して来て、そのLINEグループに送信…したつもりが、なんと、誤って学科全員のグループに送信してしまっていたのです。

暫くそれに気づかなかったのですが、学科のグループの方で、「???」「これ何?」というメッセージが送信されており、何かあったかな?なんて思いながらトークを開くと、先ほど友人たちに送信したはずの画像が…

既読が10、20と増えていき、頭の中が真っ白になりました。

焦りすぎた私は何故か「すみません、友達の妹がふざけて送ったみたいです!!」とバレバレな嘘をついてしまいました。

次の日は運良く土曜日だったため、一応、なんとか助かりました…"

素行が良くない人がカッコいい

中学時代は部活に打ち込んでいたため、高校に入ると俗にいう高校デビューをしました。

男子校だったのもありつるむ相手も素行が良くない人も多くそれがカッコいいと思うような年齢でした。

ある時友達とカラオケに行き、流されるままにその場でタバコを吸って警察が来て注意されたのをよく覚えています。

家族にばれて怒られましたが、その時は警察の恩情で学校に知らせることはなかったので一安心でした。

その後も3年間その人達とつるみ、万引きや無免許運転なども教わった?ものです。

結局悪い奴らとの付き合いも高校が終わるとほとんどなくなり、もったいない時間を過ごしたものだと思いました。

私自身人付き合いが苦手でなおかつ流されやすいため、一生モノの友達という人は少ないです。

高校時代にそういった人を見つけられていたらまた違った人生を送れたのかなと改めて思いました。

男の子と噂になった

小学校高学年の頃の事です。

小学校でも高学年ともなると、誰が誰を好きで…とか、誰がどうとかそういう話しも多くなって来ると思います。

例に漏れず、私もそういう事に対し、周りから何かと言われ、巻き込まれた事があります。

ある男の子がいて、私とは割と仲が良かったです。周りにその子の事を「良い子だよね」と話していて、周りも同調してくれていました。私の知らない所で相手も私を「良い子」という感じに話してくれていたらしいです。少しはお互い相手を気になるものの、でもあくまでも仲の良い友達でした。

ですが、何がきっかけか、私とその男の子が噂になってしまい、お互い「違うよ」と言っても「好き同士」扱いで、だんだん暗黙の了解のようになっていってしまいました。

その男の子はとても真面目な子で、からかわれたりするのが特にとても嫌なタイプでした。ですが、ある時、度を越したからかいがあり、その男の子は普段は穏やかなのですが「何だよ」という感じに声を荒らげてしまい、たまたま大きな動きをしてしまい、廊下にあったものを割ってしまいました。

そして、そこからが本当に辛かった事なのですが。その男の子が何故、物を割ってしまったのか。そういう議題でクラス会議のような事が行われ、皆が何かと発言する中で、当然、私の話しも出て、名前は皆伏せていましたが、私とその男の子が噂になっていてそれでからかわれ揉めて…という事は誰もがわかっていて、先生もわかっていました。

そして、その男の子と、私に対し、「そういう対象になった子の気持ちを考えてみましょう」「嫌ですよね」という感じに先生も話していて、もうその場にいるのが嫌になる位にキツかったです。結果、「からかいはやめましょう」出終わったのですが、その後、その男の子とは何となく話し辛くなってしまったのは残念でした。

本当に気が合い仲が良かったので。

ですが、そのエピソード自体は、嫌な思いはしましたが、今では友人と「そういう事あったね」「高学年の頃に、自分の事が議題に上がるってなかなか大変だよね」と普通に話せるので、懐かしい思い出となっています。

オネエ口調で電車を降りた

大学受験の際に朝早くから慣れない電車に乗って受験会場に向かいました。受験会場に向かう電車の中で、私は苦手英語の勉強を必死にしていました。英単語帳を開きながら必死に勉強をしていると視線を感じました。しかもその視線は1点からではなく色々なところから感じたのです。

ふと周りを見ると女性がたくさん私のことを見ていました。「なんでこんなに見られるのだろう」「男子高校生が珍しいのか」と少し疑問に思いながらふと電車の窓に目線をやると「女性専用車両」と書いてありました。

一瞬でパニックになった私はどうしていいか分からず、駅についた瞬間「ごめんなさぁい」とオネェ口調で電車を降りました。心は乙女作戦です。それが功を奏し、大学は合格しました。

好きな人と四六時中一緒に居たい

高校生の頃、付き合いたての人と四六時中一緒にいたくて、お昼も休み時間も帰る時もずっと一緒にいた時期がありました。

クラスが違ったので、授業をさぼってもあまり目立たず、とくにばれることなく過ごしていました。夏の暑い日、学校に行く前に公園でピクニックしてから登校しよう!となり、午前中さぼって近くの公園でピクニックして、そこでお昼のお弁当も食べてから学校へ行きました。

外にいるときは気が付かなかったのですが、1時間ほどすると日焼けした肌が真っ赤になりました。とくに自分は日焼けしやすい体質で、顔中真っ赤で、頭皮も皮が剥けるほどでした。

さすがにクラスが違っても、2人だけ日焼けで真っ赤になっていたので、先生たちにもサボって遊んでいたことがバレ、親にも連絡が行き、散々でした。

釣りでレンタルボードを借りてきた

大学の友人と船の話で盛り上がっていた時
「免許持ってる?」
と聞かれました。

話の流れから船舶免許の事だと思って
「持ってるよ」
と答えました。

「釣りに行きたいから運転たのみたい」
とお願いされて、船は操縦って言わない?と思いながらも承諾。レンタルボートを予約しました。

約束の日、駅前で待ち合わせしていると
「車は?」
と一言。
ここでお互いの勘違いに気付きました。

友達は
船の話→釣りがしたくなる→車で釣りスポット行きたい→車の免許ある?
というつもりだったのです。

結局、レンタルボートのある港までタクシーを割り勘する形でおさまりました。

大漁だったのでみんな上機嫌で最後は終わりましたが、この勘違いには未だにネタにされます。

母親への反抗期

当時中学生だったのですがKAT-TUNがとても好きでファンレターを送りたいと思い手紙を書いたのですが切手が家にあるのか分からず当時反抗期でした。

あまり口を聞いていなかった母親に切手の場所を聞かなきゃいけなく仕方なく母親に小声で『切手ある?』と聞いたのですがいくら聞けど

『何!?』『ええ??』『はっきり喋って!?』と言われ続けこれは完全に揶揄われてると思いだんだんイライラしてきていたのですが姉が私がいじめられてると思い部屋から出てきて『ママいじめるのやめなよ!可哀想だよ!何が欲しいか言ってごらん私が探してあげる!』と言ってくれたので私は姉に『切手がほしい』と伝えたところ『ええ!?なんて言った!?!?』と聞き返されああこれはまた馬鹿にされてるのか?と思いながらずっと『切手』『ええ??何???はっきり言ってくれなきゃ分からないよ!』というやりとりをしていてだんだん面白くなってきちゃってお互い笑っていたのですが『もう一回ゆっくりはっきり言ってごらん』といわれ『き っ て』と伝えて伝わらず『何に使うものなの?』と聞かれ『手紙に貼るもの』と伝えてようやく切手と伝わり切手を貰ったのですがなんで聞こえていたのか気になり『なんで聞こえてたの?』と聞いたところ二人して口を揃えて『てぃっとぅー!』と言い始め爆笑しました。

『ずっとてぃっとぅーてぃっとぅー言うから何かと思って分からなくて何度も聞き直してたんだよ意地悪じゃないんだよ』と二人に泣きながらゲラゲラ笑われ恥ずかしいやらなんで聞き取ってくれないんだよって気持ちやらでいっぱいでした。当時の私は反抗期なのもあり下向きで小さな声で喋り滑舌もかなり悪かったのでてぃっとぅーに聞こえていたのでしょうか…笑その後無事にファンレターは出せました。

この話は今もまだ家族内で話題に上がりきっとしぬまで一生言われます。

本命チョコだとバレるのが嫌

学生時代、私はバスケットボール部のマネージャーをしていました。バレンタインの季節になり、友チョコとして普段仲良くしている友達や部活のメンバーに手作りのお菓子をあげることにしました。

当時私には好きな人がいたので、その人のために本命チョコを別に手作りをしていました。ラッピングは友チョコと本命チョコで分けるつもりでいましたが、恥ずかしがり屋だった私は見た目であからさまに本命チョコだとバレるのが嫌だったので、結局どれも同じラッピングをし、本命チョコに「○○君へ、好きです」とかいたメッセージカードを入れておきました。

そしてバレンタイン当日、みんなにチョコを渡し家で好きな人から何かメッセージが来るかとドキドキしていると、部活のメンバーから「チョコ渡し間違えてるよ」とメッセージが来ました。なんと本命チョコの相手を間違えて渡していたのです。それだけでも恥ずかしいのに、好きな人までバレ、部活ではそのことでからかわれるようになり散々でした。

居眠りでたまたま二人きり

それは高校生活の中、三年生の卒業間近の時期の事でした。

部活動が同じだった、かつ趣味が結構合っているクラスメートの女子が一人いて、私は彼女の事がとても気になっていました。

しかし、基本的に内向的で誰かと積極的に話す事さえままならなかった僕には、自分の気持ちを伝えるなど夢のまた夢でございました。

ですが卒業間近のとある放課後。

その日はたまたまクラスメートのみんながさっさと帰ってしまって、その子は居眠りをしてしまっていて、たまたまその子と二人きりになりました。

そう考えた矢先にちょうど彼女が起き、告白するにはまたとない機会となりました。

こんな漫画のようなチャンスは二度とない……そう分かっていました。
分かっていましたが、結局僕は普段交わすような趣味の話だけして、校門で別れてしまいました。

月並みな理由かもしれませんが、最後の最後で嫌われるのが怖かったからです。

それ以後、彼女とは話す事もなく、そのまま卒業……疎遠になってしまいました。

あの時もし告白していたら、そんな事をたまに考えたりする、そんなやらかしでございます。

 

まとめ

さて、これらの痛快な"やらかしエピソード"を通じて、私たちは一つの大切なことを学びます。それは、失敗は決して恥ずかしいことではなく、むしろ成長の糧となるということ。

学生時代の失敗は、今を生きる私たちに貴重な教訓と笑いをもたらしてくれます。これらのエピソードが、あなたの学生時代の思い出を豊かにし、未来への一歩を踏み出す勇気を与えてくれることを願っています。

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